じむいんパパのinterest日記

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ネガティブな考えを書き換えていきたい…

自分はダメだ…自分なんて何もできない…なんの役にも立たない…どうせみんなから嫌われている…なんて自分のことを悲観的に捉えてしまうことってありませんでしょうか…

 

自分で自分にネガティブな考え方をどんどん植えつけてしまいがちな自分がいます…

 

周りのことを気にしすぎたり、周りと自分を比べてしまうクセが抜けきらないからだと頭では分かっているつもりなんですが、どうしてもこの負のスパイラルに陥りがちなんですよね…

 

いまのままでは、ネガティブな思いに更にネガティブな思いを加えてしまうだけ…

 

こんな感じだと、いつまでたっても負のスパイラルから抜け出せなくなってしまいますよね…それだけは避けていきたい…そんな感じにだけはなりたくない…そう思っています。

 

どうすればいいのでしょうか…

 

パソコンのデータみたいに上書きできればいいですよね(間違ってデータを上書きしてしまったときは、焦りますが…)。

 

ネガティブな考えが頭をよぎったら、ポジティブな考えで上書きしてしまう…

 

すべてのネガティブな思いを瞬時に上書きすることは難しいかもしれません…でも、自分の考え(思い)を上書きすることは気持ちの持ち方を変えればできるはずですよね…

 

一つでも上書きできれば、負のスパイラルに陥ることは避けることができそうですよね…

 

周りに迷惑をかけるほどの勘違い(態度が横柄になったり、人を傷つけてしまうような発言をしたりしないようには注意していきたい)はダメだと思いますが、いい意味で自分のネガティブな考えを上書きしていきたい…

 

・自分って意外とセンスあるじゃん…

・自分ってできる人じゃん…

・自分って周りに貢献できてるじゃん…

・自分って周りから好かれてるじゃん…

 

みたいな感じで、自分の言葉で自分に魔法をかける(思い込む)ことはしてもいいですかね…

 

無理せず、自然な感じで、周りに迷惑をかけない範囲で、自分の言葉で自分のネガティブな考えを上書きすることができれば、もっと自分の人生を豊かにできそうな感じがします…(勘違いかもしれないけれど…)

誰かのせい...自分のせい...

誰かの間違いや自分の間違いを探して責任を追及してしまったことってありますか..

 

自分自身、そのミスを責めているつもりは無かったのですが、相手にとっては、責任の所在を追求されたと受け止められてしまったことがあります...そのあとの空気は(お互いにとって)あまり感じのよくないものでした...

 

「人のせいにしないこと」とか、「自分の責任は自分でとりなさい」って教えられてきたような気がします。

 

もちろん、人のせいにしないことも大切。自分の間違いの責任を一切取らないこともダメなことだと考えています。

 

でも、なにごとも適度なバランスは必要ですよね...

 

周りのミスを責めすぎたり、自分のミスを責めすぎたりすることは、避けるようにしていきたい...

 

ミスを責める(責任の所在を探す)のではなく、どうしたらその問題(ミスや間違いをすること)を解決できるのか?って考えるようにしていきたい...

 

周りのせいにすることは簡単な道ですが、本当の解決にはなりませんよね。自分の行動や考え方に焦点を合わせることが、より成長する機会となるはずですよね...

 

問題の解決ができれば、一緒に前に進むことができるはずですよね...(もちろん、簡単に解決できないこともたくさんあるけれど...)

 

そのためにはどうすればいいのか...

 

なんでこんなことするんだ...とか、なんでこんな間違いをするんだ...とか、こんな環境でなければ失敗しなかった...とか、ある問題を周りのせい、人のせいにしたくなったときはどうすればいいのでしょうか...

 

明確な答えは自分の中にまだないけれど、その答えを見つけるためにも、一歩下がった場所(できれば、その状況を俯瞰してみれる場所)から物事を見る癖をつけるようにしていきたいと思います...

 

時には、その場所(人のせいにしてしまいたくなる場所、自分を責めてしまいそうになる場所)から逃げてもいいですよね...逃げた先で、もう一度、感情に振り回されず、少しでも冷静な判断ができるようになることのほうが大切なのかもしれません...

 

もしも、その場所から離れることが難しいときは、まずは深呼吸をして落ち着くことでもいいですかね..落ち着くことができれば、.その状況を客観的に振り返り、周りや自分に対する理解と優しさを持つことで、もう一度前に進む力を得ることができるような気がしています...

 

目線の配り方を意識していきたい…

人の目を見て話しなさい!とか、相手の目を見て話を聞きなさい!って注意されたりした経験ありませんか…

 

小さい頃は注意されていました…とだけ言いたいところですが、社会人になってからも何度も注意されているんですよね…

 

原因は、自分に自信が持てないからだと思っています(相手の目を見るとなぜか緊張してしまうんです…)。

 

大勢の前で何かを説明しなければならないときなど顕著にその傾向(下を向いたまま原稿だけを見て説明をする)がでてしまうので、改善したい!っていつも思います(なかなか改善できないのですが…)

 

でも、できるときもあるんです…それは、大好きなサッカーをしているとき…

 

いわゆるアイコンタクトで、仲間に意思を伝えたり、仲間の意図を汲み取ったり…

 

アイコンタクトができると、なんか「心が通い合った!」みたいに気持ちがいいものですよね…仕事でも他の場面でも同じようにできるといいな…目線の配り方をもう少し意識していきたい…そう思っています。

 

まずは、緊張しないこと。そして、相手の目を見て話す際には、強制的にじっと見つめるのではなく、自然な感じで目を合わせるようにしていきたい…また、相手の目を見つめながら笑顔を保つことで、より良いコミュニケーションが生まれるかもしれませんよね。

 

人の話を聞くときにも、相手の目を見ながら話を聞くことで、相手の感情や意図をより良く理解しやすくなるはずですよね…(相手が自分のことをよく理解し、尊重してくれていると感じることができると思っています)。ただ気をつけていきたいことは、相手を不快にさせないように、自然な感じで目を見つめることですかね…

 

目線の配り方はコミュニケーションにおいて重要になるはず…人と話すときは相手をじっと見つめすぎないことや、適度な間合いを保つことを大切にしていきたいと思います。

 

できるかぎり、相手の表情や感情を読みながら、適切な目線を保つことができるようになりたいな…



いただきます。ごちそうさま。

いただきます。ごちそうさま。食事の際にきちんと手を合わせて言えていますでしょうか...

 

子どもの頃は、学校の給食の時間だったり、家では両親から、何度も注意を受けてきたと記憶しています...「ちゃんと手を合わせなさい!」って...

 

大人になり、子どもの親となったいま、自分はきちんとその教えを守れているのか...その教えを自分の子どもに伝えていることができているのか...少し心配になってきました...

 

とういのも、無意識のうちにスマホ片手に...テレビを見ながら...とりあえず「いただきます」とか「ごちそうさま」って言っている自分の姿が頭に浮かんだからです...

 

なぜ、きちんと手を合わせなさいって教えてもらっていたのでしょうか...

 

それは、手を合わせる習慣にはきっと良い点があるからすよね...

 

相手への敬意を示す行為であったり、それを通じて謙虚さや感謝の気持ちを表現することができると感じています。

 

手を合わせることで心が落ち着き、集中力が高まるということも耳にしたことも...神社やお寺で手を合わせてお祈りするときって確かにそう思います...

 

自らの心を整えるためにも、感謝の意を伝えるためにも大切にしていきたい習慣なんですよね...今更ですが反省しています...

 

食事をいただくことへの感謝と敬意。忘れないようにしていきたい...

 

食事は日常生活で欠かせないものであり、自然から得られる恵みです。食事を前にして「いただきます」という言葉を使うことで、その恵みに感謝し、謙虚な気持ちを忘れずにしていきたい...

 

もちろん、食事の後には、食事を提供してくれた人や食材に対する感謝と敬意も...食事を終えた後に、料理を作ってくれた人や食材に感謝の気持ちを表す「ごちそうさま」も忘れずに...

 

手を合わせ、感謝の気持ちを大切にする、落ち着いて考えてみることを忘れずにいることで、人とのつながり(人間関係だったり、信頼関係であったり)が今よりもスムーズになるはず...

 

その場で心を落ち着かせたいとき、感謝の気持ちをしっかりと伝えたいとき、言葉だけではなく、しっかりと手を合わせる(心の中でも)こと、忘れないようにしていきたいと思います...

 

与えられるだけではなく、与えることもできるようになりたい…

「なんで分けてくれないんだろう…」、「なんで教えてくれないんだろう…」とか、「なんで話を聞いてくれないんだろう…」って思ったりすることありませんか…

 

自分ができないことや、持っていない物(こと)を近くにいる人に求めてしまう(与えてほしい…)みたいになることが自分自身よくあります…

 

でもこれって、相手も感じていることかもしれませんよね。

 

〇〇さんだって何も分けてくれないのに…何も教えてくれないのに…みたいな感じで…

 

お互いが「与える」よりも、「与えられる」だけを求めてしまっているのかもしれません。

 

もちろん、〇〇して欲しい!とか、〇〇を聞いてほしい…、〇〇を知りたい…って思ったり感じたりすることを無理して我慢する必要はないと考えています。

 

でも、自ら何も考えず、調べず、周りには何も与えず(教えず)、自分のこと(悩み)だけ聞いてもらって、相手の話(悩み)を一切聞かない…みたいな感じになってはダメですよね…

 

そんなことをしていたら、誰も自分の話を聞いてくれないし、誰も自分に何かを与えてくれることなんて無くなってしまうはず…

 

そうならないためにできることは何でしょう…

 

いまの自分にできることは、いま自分がしなければいけないことは何だろう…

 

意識していきたいことは、与えられることを先に求めすぎないこと…与えてもらったことが自分の欲していない事であったとしても、感謝の気持ちを忘れないですかね…(当たり前のことだけど、自分自身できていない…)

 

まずは、周りの人や社会に対する思いやりや小さなサポートを意識していきたい…

 

最初は相手にとって必要のないことになってしまうかもしれません…でも、与え続けることで他者とのつながりが深まり、共感や親睦が生まれることもあるはずですよね(勝手に期待しています…)

 

与えたことがブーメランのように自分に返ってこないことだってたくさんあるかもしれません…

 

でも、思いやりの行為は、きっと自分自身の幸福感や満足感を高めることにもつながるはず(自己満足するだけで終わってはダメかもしれないけれど…)。

 

聞いてくれてありがとう!分けてくれてありがとう!、「こちらこそ話してくださってありがとうございます」みたいに素直に思いあえる関係になりたいな…



正しい説明とわかりやすい説明…

あの人の説明ってなんか分かりづらいんだよね…とか、正しいこと言っているんだろうけどなんか伝わってこないんだよね…って感じたりすることありませんか…

 

皆さんは相手に伝えたいことがあるとき、正しさと分かりやすさのどちらを優先しますか?もちろん、相手によって変えている…とか、ケース・バイ・ケースですよ…ってこともあるとは思います。

 

でも、自分が聞く側だったら、まずは分かりやすい説明がいいな…って思っています。

 

もちろん、正しくない情報は不要です!ってという意味ではなく、まずは、相手の伝えようとしていることが何なのか、自分が理解しようとしなければならないことが何なのかを大切にしていきたいからです…

 

というのも、自分が何かについて説明をした際に、「情報が細かすぎて分かりづらい…」「結局のところ、何が言いたいの?伝えたいことは何?」って言われたことがあるからなんですよね…(自分なりに、正確な数字だったり情報をたくさん集めて伝えてにもかかわらず…)

 

内容の正確さに焦点を当てられており、専門性は高いと思うのですが、◯◯さんの説明は、とても難解に感じました…って後輩からいわれたときは少しショックでした…

 

そのとき思いました。正しい説明とわかりやすい説明は、似て非なるものなんだと…

 

何かを伝えなければならないとき、正しさだけが全てではないんだと…

 

正確さだけでは相手に自分の伝えたいことは伝わらないんだと…

 

これからはもう少し分かりやすい説明を意識していきたい…

 

・聞き手や読み手の理解しやすさを考える

・目的、情報を簡潔に伝える(説明し過ぎに注意する)

・身近な例えや比喩、簡単な言葉を使った説明を心がける

 

ができれば今よりは伝えることができるはずですかね…

 

もちろん、過度に簡略化することで、詳細の欠如や誤解を招く可能性も忘れずに…

 

できれば(理想としては)、正しい説明とわかりやすい説明のバランスを自分なりに見つけていきたい…内容の正確性を損なうことなく、より多くの人へ情報を効果的に伝えることができるようになるためにも…

自分のことは自分が信じないとダメですよね…

自分で自分のことを信じられない…みたいなことってありませんか…

 

目標や計画を定めたのに、何もできていない…頑張ることさえできていない…なんて感じで落ち込んでしまうことがあります…(なんて自分はダメなんだろう…みたいに)

 

そんな感じになると、負のスパイラルが自分自身の中で発動し、「もう自分なんてダメだ…」とか「どうせなにやっても無駄だ…」みたいになることがあります。

 

そんな感じでいると、周りからも信じてもらえなくなってしまうことがあり、余計に凹みます…

 

でもこのままではダメですよね…せめて自分のことは自分で信じないと…

 

信じるってとは、周りの人のことや物事に対して信頼や確信を持つことですよね。でも、それは、根拠や証拠などに基づくことだけではなく、感情や直感に基づくこともありますよね…

 

どうしてでしょうか…

 

それは、信じることによって、希望や動機付けを得ることができるからですかね…

 

だとすれば、まずは自分を信じてみよう!って考えても問題ないはず…

 

自分で自分を信じることができなければ、自分自身の能力や可能性を狭めてしまうことになりかねない…そんなことをしていたら、何も新しいことに挑戦できなくなってしまうかもしれない…(それは嫌です…失敗は怖いけど、何もしないのは、もっと怖くてつまらなそうだから…)

 

自分自身を信じて、新しいチャレンジに積極的に取り組んでいきたい…

 

困難に直面しても乗り越える意欲や力を身につけていきたい…って思っています。

 

自己信頼を高めることができれば、きっと、他人との関係においても積極的かつ建設的な態度を取ることができるようになるはず…いまよりも協力的な関係を築くことができるはず…

 

そして、自分を信じることで精神的な安定感(=心の余裕)が生まれ、ストレスに対処する力も強まるはずって信じていきたい…

 

もちろん、過去にした間違いやミスも沢山あり、自分のことでさえ信じることができない…ってなってしまうことはこれからもあるかもしれない…

 

でも、これからは、過去にとらわれず(しっかりと受け止めることは忘れずに)、今の自分を信じて(今の自分を100%認めて)、これからどうすべき、いま何をすべきかの判断を迷わず、後悔せずしていきたい…

 

いまこの一瞬一瞬を大切にしていくためにも…