中動態という言葉を初めて耳にしました。正直なところ、説明をお聞きした後でもはっきりとしたイメージがつかめていないのが本音ではありますが、これからの考え方の一つとして頭の片隅に入れておきたいと思っています。
「中動態」とは「「能動態」と「受動態」の間にあることであり非自発的同意のこと。
つまり、「する」と「される」の間。
「一応自ら『する』んだけど、そこに働いている自分の意志は大きくない」という様な状態を指すとお聞きしました。
なぜ、中動態になるのか? 子ども時代には親や先生など、組織に入ってからは上司など、とにかく上から言われたことには従え、周りに合わせろ、という教育や社会的な同調圧力の影響も小さくないとのことでした(私たちの年代ではあるかもしれない…)。
なんとなくわかった?具体例は、
・やりたくないのに引き受けてしまった◯◯会(町内会とかPTA)の役員、
・人の目を気にして好きな◯◯をしないこと(例:服を着ないこと)
・なんとなく勢いでしてしまった◯◯
・生きていくに仕方なくしている◯◯(これが仕事にならないようにしたい…)
・体に悪いとわかっているのに吸ってしまうタバコ
「中動態」の中にも次の2つの種類があるとのこと。
・本当はやりたくないが、色々な外的要件を考えるとやった方が良いだろうと思ってやっていること
・やらない方が良いとわかっているのにやってしまっていること
「やりたくないが、結果やってしまっていること」「やらない方が良いとわかっているのにやってしまっていること」ってたくさん自分にもあります。なんでやってしまうのか?
全てのことを自分の強い意志でやることは理想だけど、全ては難しい…
自分の置かれている環境や、周りの状況も踏まえて、現実的には、いかに折り合いをつけていくのか?を 無意識に考えている自分がいます。
これから自分に出来ることといえば、何かをする前に、
・内なる自分の声を繰り返し聞くこと
・自分のやりたいことや本来の欲求に沿ったものか確かめてみること
中動態については、自分の知識の無さもあり、十分な理解はできませんでしたが、何かを決定するときには、中動態であったとしても、できるかぎり能動態に近い中動態でいたい(する前に自分に問いかける)と思いました(そもそもの理解が間違っていたらごめんなさい)。